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普段、あまり内心のことは他人に語らないようにしていますが、
”中道左派”を自認しています。
それはあらゆることに及んでいます。
”中道左派”という言葉は一般的にポリシー(政治的な)と解釈されているようです。
勿論政治的にも”中道左派”です。
(俗に云う”リベラル”にあたる、かな?)
世間では政局だ総選挙だと話題に事欠かないようですが、
ここではオカルト的なことを。
以下は前もって、小生があらゆる面で自称”中道左派”であることを念頭にご覧ください。
オカルト的なお話は大好きです。
(昔風に言うと「あなたの知らない世界」とか)
一方でこの歳(具体的数字は伏せて)になるまで、
理系・技術畑で過ごしてきました。
ばりばりの無神論者(自称)でもあります。
(人間”だけ”に良くしてくれる”神”も信じてはいません
牧師の講義で「無神論者も神を信じていないという信仰者である」と
聞いたこともあります)
怨霊だの因縁だの前世だのといったものも信じていません。
イミグレ等でどうしても信仰を書かなくてはいけない場面では
”Buddhis(仏教)”と書きます(宗派なら”真言宗”になります。
宗教的にもオカルト的にも”中道左派”です。
この世ならざるものが存在することは薄々気づいています。
自身に霊感などというものがないと思いたいところもありますが、
あるいくつかの特定の場所、あるいは特定の状況で悪寒がします。
それは寒いときの悪寒とは全く違うものです。
(手足などの体表面的な鳥肌ではなく、頬・首筋から腰にかけての背骨に感じる悪寒です)
”霊感がある”人(かなり具体的に見ることがしょっちゅうという人)と
後で聞いてその場所や状況が一致することからも、
どうも洒落では済まないようです。
”見た”に近い体験では、中学時代に自室で
”そこに少年がいる”と自覚したことがあります。
勿論見知った人物ではなく、目で見たわけでもないに、
背格好、姿まで感じることができた”少年”がそこにはいました。
”彼”はにこっと笑って消えました。
恐怖感や不快感は全くありませんでした。
今にして思うといわゆる「座敷童」に近い存在だったのかもしれません。
(当時、金縛りは日常茶飯事でしたが、若年期の自律神経失調症と考えれば
さほど不思議はありません。(読経のような唸り声や鈴の音が聞こえたことも
発症中の幻聴と考えれば十分説明はつきます)
確かにこの世ならざる世界があり、この世ならざる存在があることは確信しています。
ただ、それがご利益だの災いだのという”現世利益”に結び付けられることには
抵抗を感じます。
この世にはこの世の理があり、あの世にはあの世の理がある。
この世の問題はこの世の存在(有り体に言えば人間社会は生きている人間)が
解決するしかないとも考えています。
勿論、こういった主張は万人に受け入れられることがないことも承知しています。
各々が信ずるものを否定する意図は全くありません。
色々な信仰を”学んで”みましたが、若輩ながら
根源には「信ずるものは我が内にある」という点では共通していると
考えています。
願わくば全ての人が全ての人の信ずるところを尊重する世界であることを。
”中道左派”を自認しています。
それはあらゆることに及んでいます。
”中道左派”という言葉は一般的にポリシー(政治的な)と解釈されているようです。
勿論政治的にも”中道左派”です。
(俗に云う”リベラル”にあたる、かな?)
世間では政局だ総選挙だと話題に事欠かないようですが、
ここではオカルト的なことを。
以下は前もって、小生があらゆる面で自称”中道左派”であることを念頭にご覧ください。
オカルト的なお話は大好きです。
(昔風に言うと「あなたの知らない世界」とか)
一方でこの歳(具体的数字は伏せて)になるまで、
理系・技術畑で過ごしてきました。
ばりばりの無神論者(自称)でもあります。
(人間”だけ”に良くしてくれる”神”も信じてはいません
牧師の講義で「無神論者も神を信じていないという信仰者である」と
聞いたこともあります)
怨霊だの因縁だの前世だのといったものも信じていません。
イミグレ等でどうしても信仰を書かなくてはいけない場面では
”Buddhis(仏教)”と書きます(宗派なら”真言宗”になります。
宗教的にもオカルト的にも”中道左派”です。
この世ならざるものが存在することは薄々気づいています。
自身に霊感などというものがないと思いたいところもありますが、
あるいくつかの特定の場所、あるいは特定の状況で悪寒がします。
それは寒いときの悪寒とは全く違うものです。
(手足などの体表面的な鳥肌ではなく、頬・首筋から腰にかけての背骨に感じる悪寒です)
”霊感がある”人(かなり具体的に見ることがしょっちゅうという人)と
後で聞いてその場所や状況が一致することからも、
どうも洒落では済まないようです。
”見た”に近い体験では、中学時代に自室で
”そこに少年がいる”と自覚したことがあります。
勿論見知った人物ではなく、目で見たわけでもないに、
背格好、姿まで感じることができた”少年”がそこにはいました。
”彼”はにこっと笑って消えました。
恐怖感や不快感は全くありませんでした。
今にして思うといわゆる「座敷童」に近い存在だったのかもしれません。
(当時、金縛りは日常茶飯事でしたが、若年期の自律神経失調症と考えれば
さほど不思議はありません。(読経のような唸り声や鈴の音が聞こえたことも
発症中の幻聴と考えれば十分説明はつきます)
確かにこの世ならざる世界があり、この世ならざる存在があることは確信しています。
ただ、それがご利益だの災いだのという”現世利益”に結び付けられることには
抵抗を感じます。
この世にはこの世の理があり、あの世にはあの世の理がある。
この世の問題はこの世の存在(有り体に言えば人間社会は生きている人間)が
解決するしかないとも考えています。
勿論、こういった主張は万人に受け入れられることがないことも承知しています。
各々が信ずるものを否定する意図は全くありません。
色々な信仰を”学んで”みましたが、若輩ながら
根源には「信ずるものは我が内にある」という点では共通していると
考えています。
願わくば全ての人が全ての人の信ずるところを尊重する世界であることを。
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