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WBS

(帰宅していれば)夜の9~12時はニュース番組をはしごしています。
11時以降はビジネスニュース中心のテレビ東京系WBSになります。

今日は、「我らが業界」寄りのニュースが2件

一件目は関西系キー局と地方局という変わったネット放送をしていた
「true tears」http://www.truetears.jp/ の制作会社「ピーエーワークス」社の
取り組みが放映されていました。
(在県のTVKでもやってたらしいけど、ノーチェックでした・・・・)
話題の皮切りは、設定に富山実在の某市をまんま使用して、
地方に2~30代の観光が増えて観光産業が活性化している、というものでした。
岡山県の地名を”読み替え”て使用していた某シリーズを思い出しましたが
そこからもう一歩踏み込んだ話題も。
大昔から「決して良くない」(放送中の表現←かなり控えめだと思う)労働条件だった
アニメ制作会社の職場環境や待遇を、地方に移すことで
「広い作業スペース」「安い寮の整備」で改善して、定着率向上を図っている、
というもの。
地方制作が決してネックになっているわけではなく、
むしろ原画なども夕方発の宅配便に間に合わせなくてはいけないので
スタッフのスケジュール管理を促して、結果的に効率が向上しているとのこと。
この産業でも”中央集権”から”地方分権”へ向かう道ができるかが
今後期待されるところです。

二件目はコミックのシュリンク包装の話題。
(ウチのシュリンク包装でも使っていますが)
普通、シュリンク包装では等方性のシュリンクフィルムを使っています。
ところが、これでは売り上げスリップが抜けないということで、
異方性シュリンクフィルム(収縮率が縦横で違う)を使って
上下だけを開けた包装ができるという方法を採用したシュリンク機を
開発したメーカーを話題にしていました。
日頃書店でコミックスを見ていて、
どうやったら上下だけシュリンクが掛からない方法があるんだろう、と
気になっていたのが「ああ、そういうことか」と納得。
多分、素材のフィルムは製造時に延伸方向を変えてるんだろうなあ、と推測。
(暇があったらPATLIS、あ、今はJSTかなんかで調べてみようっと)

「我らが業界」がメディアに登場するとなると、
”痛い”話題や人々を”珍獣”扱いしているところが目に付きやすいですが、
こういったビジネスニュースでも、まともなニュースソースとして取り上げられる頻度が
高くなっているところをみても、確実に市場に対する発言権を得ているなぁ、と
感じることしきりです。

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悔しいです。
「男前豆腐店」の「波乗りジョニー」は確かにおいしかったです。
味が濃く、甘さ控えめのプリンのようでした。
普通、豆腐ってしょうゆなんかをかけないと物足りないものですが、
これは何にもなしでそのまま食べてもいけました。

普通の豆腐に比べれば倍以上の「男前豆腐店」
たまたま、赤札になっていたので買いました。
それまでは、奇をてらったネーミングだけで付加価値つけて、
なんて思って敬遠してたのですが、確かにおいしい。
味音痴なので、グルメな批評はできませんが、
たまに食べてみるのも悪くないかも。
JASRACの著作権収入第2位にエヴァのサントラが入ったとのこと。
http://www.jasrac.or.jp/profile/prize/index.html
鷺巣氏といえばバブル前・夢ある時代のオサレなアニメには欠かせない人、というイメージ
(ちなみに第1位は宇多田嬢のアルバム。こちらはさもありなん)

エヴァの初数回を学生時代ナマでみて、直感的に
これは「売れる」な、と感じました。
作品性どうこうというものではありません。
商業的に成功するな、と。
まさか、ここまで一般に浸透して、10年以上経って尚
稼ぐ”商品”になるとは思いませんでしたが。

いまさらながらに”トップ”を見てます。
G社は色々と”実験”をしたんだなぁ、と。
きったはっただけではなく、ある意味R&D活動だったんだと。

知的財産である著作権や(あくまでそれに付随する)版権に関しても”中道左派”です。

それが形のあるモノであれ形のないモノであれ、
”創った”人には最大限の恩恵があるべきだと思います。
一方で版権(出版権や上映権等などcopy するright)に関しては
もっと控えめになるかオープンであるべきだと感じますし、
そのほうが、著作者の最大意思である(と思われる)”広く知らしめたい”という
ことにも繋がるのでは、というのが個人的主張。
きっと、その方がみんなが参加して、作品がもっと盛り上がるのでは。

立体物に対してのG社の認証制度は好感が持てます。
さすがはかつての立体系最大イベントの主催者。
(過渡期の過剰規制で有害メディア指定をくらいそうになったくらい)
一定の基準を満たせば自由に参加できますよ、というところ。
こういう向性の姿勢が結果的な横展開、メディアミックスに繋がったんじゃないかなぁ。
厚労省やFDAに代表される規制型ではなく、EUの規格(EN/ISO)自己宣言型に近いなぁ、と。
一方でS社(具体的にどこか、というのはご想像にお任せします)は
どうも某世界最大メディア産業の一角D社を目指しているように思えてなりません。
(マネーにモノを言わせて国際条約すら曲げる
 ミッ○ーはとっくに著作権フリーになってるはずでした)
”G”のブランドを囲い込むために、こと立体物に関しての規制は
「他人立ち入りまかりならぬ」といわんばかりです。
(そこまでして守りたいS社の権利デメリットってそんなに無いと思うのですが)

正直、ディーラー総出で反版権イベントをやっても、訴訟で勝てそうな気がします。
二次元メディアの立体化については、造型師にも著作権を認めた判例があります。
立体化自体が高度な創作物と認められているところをみても、
単なるCopyではない、少なくとも版権という”Copy”で成り立っているところより
創作者が低い位置に甘んじなければいけないというのが、納得のいかないところでもあります。

商業的にはわかります。投資をしている以上、そのリターンを求めるのは当然、ということを。
形の無いモノを管理する難しさも。
ただ、年間100かそこらの販売数のものに、そこまで規制をかけるのはどうだろう、というところ。
我々ディーラーにとっては重い負担である版権使用料も、彼らのビジネスからすれば
工数だけ掛かってしょうがない、と思うのです。(だからこそ規制?)
同人誌がなし崩し的に定着してしまった事例を見ていると、前述の判例が
彼らに被害者意識を覚えさせたと勘ぐりたくなるくらいです。
(面倒になるくらいならやめさせてしまえばいい)

JASRACを今回引き合いに出しましたが、個人的には国内最大の公式ピンはね機関と見ています。
(宝くじや競馬等々は出資者にもリターンがある(ことがある)前提なので除外)
彼らは製造・販売すらしていない。
延べ動員数100名程度の公演にすら”金払え”ですから
(勿論、その時は99年フリーの曲をナマでやって、彼らのみかじめ料稼ぎはさせませんでした。)

著作者がすべてを管理することは難しい。それはわかります。
だからといって、版権者やましてやJASRACのような仲介者にそこまで低姿勢でなくてはならないのかなぁ
というのが、大きな疑問符。
主張すべきところは主張していくほうが、双方の利益に繋がるのでは、と思うことしきりです。
かんぱちのアラを買ってきました。
アラ煮にしようと思って、サイトを検索。
で、レシピがあったんですが、そこはそれ。
しょうゆもみりんも酒も、いつものように量りもせず適当に入れて、
冷凍しておいた生姜薄切りを放り込んで、
味見「まあ、こんなもんでしょ」って、湯通ししたあらを放り込む。
落し蓋がないので、キッチンペーパーを乗せて、
やかんのふた(なべよりちょっと小さい)を落し蓋にして、
中火で煮込むこと30分。
ちょっと見て、「まだ煮汁多いなぁ」
目を離したが最後、たった5分でくろーい煮汁に。
「しまった、やりすぎ!!」
なべに焦げ付かなかっただけましとしましょう。

火をかけたときは目を離さないようにしましょう。
(ちなみに身は脂が乗って美味でした)
普段、あまり内心のことは他人に語らないようにしていますが、
”中道左派”を自認しています。
それはあらゆることに及んでいます。

”中道左派”という言葉は一般的にポリシー(政治的な)と解釈されているようです。
勿論政治的にも”中道左派”です。
(俗に云う”リベラル”にあたる、かな?)

世間では政局だ総選挙だと話題に事欠かないようですが、
ここではオカルト的なことを。

以下は前もって、小生があらゆる面で自称”中道左派”であることを念頭にご覧ください。

オカルト的なお話は大好きです。
(昔風に言うと「あなたの知らない世界」とか)
一方でこの歳(具体的数字は伏せて)になるまで、
理系・技術畑で過ごしてきました。
ばりばりの無神論者(自称)でもあります。
(人間”だけ”に良くしてくれる”神”も信じてはいません
 牧師の講義で「無神論者も神を信じていないという信仰者である」と
 聞いたこともあります)
怨霊だの因縁だの前世だのといったものも信じていません。
イミグレ等でどうしても信仰を書かなくてはいけない場面では
”Buddhis(仏教)”と書きます(宗派なら”真言宗”になります。

宗教的にもオカルト的にも”中道左派”です。

この世ならざるものが存在することは薄々気づいています。
自身に霊感などというものがないと思いたいところもありますが、
あるいくつかの特定の場所、あるいは特定の状況で悪寒がします。
それは寒いときの悪寒とは全く違うものです。
(手足などの体表面的な鳥肌ではなく、頬・首筋から腰にかけての背骨に感じる悪寒です)
”霊感がある”人(かなり具体的に見ることがしょっちゅうという人)と
後で聞いてその場所や状況が一致することからも、
どうも洒落では済まないようです。

”見た”に近い体験では、中学時代に自室で
”そこに少年がいる”と自覚したことがあります。
勿論見知った人物ではなく、目で見たわけでもないに、
背格好、姿まで感じることができた”少年”がそこにはいました。
”彼”はにこっと笑って消えました。
恐怖感や不快感は全くありませんでした。
今にして思うといわゆる「座敷童」に近い存在だったのかもしれません。
(当時、金縛りは日常茶飯事でしたが、若年期の自律神経失調症と考えれば
 さほど不思議はありません。(読経のような唸り声や鈴の音が聞こえたことも
 発症中の幻聴と考えれば十分説明はつきます)

確かにこの世ならざる世界があり、この世ならざる存在があることは確信しています。
ただ、それがご利益だの災いだのという”現世利益”に結び付けられることには
抵抗を感じます。
この世にはこの世の理があり、あの世にはあの世の理がある。
この世の問題はこの世の存在(有り体に言えば人間社会は生きている人間)が
解決するしかないとも考えています。

勿論、こういった主張は万人に受け入れられることがないことも承知しています。
各々が信ずるものを否定する意図は全くありません。

色々な信仰を”学んで”みましたが、若輩ながら
根源には「信ずるものは我が内にある」という点では共通していると
考えています。

願わくば全ての人が全ての人の信ずるところを尊重する世界であることを。
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